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如法寺大悲閣観音堂

京都の清水寺と同じ、懸崖造(けんがいづくり)の観音堂

如法寺は真言宗智山派の寺院で、鴨が岳山麓の西向き緩斜面、東山公園内に立地しています。この寺院は、天長3年(826)に空海(諡号、弘法大師)が真如法親王を派遣し創立したという伝承があります。後世、荒廃した寺院は応永19年(1412)に中野城主高梨規政が堂宇を修理し再興しました。したがって、高梨規政開基とはこれ以降のことです。その後、堂宇は兵火等により消失、再建を繰り返したようです。
 現在の大悲閣観音堂は、参道奥の石段を登った高台に建立されています。この建物は、入母屋造り桟瓦葺き屋根の妻飾りを正面裏面に向け、正面部の一部が斜面から乗り出す舞台形式の外観が大きな特徴です。平面の形状は、桁行5間、梁行3間で、桁行正面2間は吹き放しの外陣となります。これは外陣空間を開放することで参拝者を招き入れ易くする効果をもたらす構造です。外陣への入室は懸崖造(懸造)のため側面に階段が取り付く、平入りとなります。四周の切目縁は四手先挿肘木で支え、擬宝珠高欄を廻らしています。
 身舎柱は上端粽付円柱を配し、桁行奥三間を内陣としています。内外陣境は格子戸はめ殺し、両脇一間に引き違い板戸とし、奥二間と裏面を板壁として、縁長押と内法長押を内陣四面に廻しています。天井は内外陣とも格天井で、格間の板張に彩色及び極彩色の観音絵図が描かれています。軒は二軒に繁垂木を掛け、板支輪に綾紋彫を施しています。側面に付く向拝は一間で、礎盤に几帳面取角柱を載せ海老虹梁で身舎と繋いでいます。虹梁形頭貫には正面に唐獅子、側面に象の木鼻が取り付き、中備には龍の彫刻を納めています。この向拝の象と龍の彫刻には越後の大工の手法が見られます。
 なお、鰐口には「嘉永四(1851)辛亥年高井郡中野如法寺十八世榮寛代」の銘があります。この建物の建築年代は、天保7年(1836)造営との伝承があり、また建築様式として虹梁絵様にその時代の特徴が読み取れます。(中野市ホームページから転載 2016.10.6)

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中野市生涯学習課 文化財係 0269-38-3112
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