所有者 中野市 所在地 中野市立博物館
中野市内では中世の埋納銭が15ヶ所から発見されています。一地域でこれほど集中することは少なく、全国的にも埋納銭の発見が多いまれな地域です。その発見の歴史は江戸時代の慶応年間から平成7年(1995)におよび、耕作中などに偶然発見されたものがほとんどです。平成元年・7年の西条・岩船遺跡の市教育委員会による発掘調査での相次ぐ発見は、出土状態が明確な資料として重要です。これによって、一差しの枚数や銭種別構成などが明らかになりました。
埋納容器は珠洲焼の甕が多く、木箱に納められたものもあります。宋銭がほぼ八割を占め、唐・明銭もあります。容器や銭種から、これら多くの埋納時期は室町時代と推定されています。銭の埋納理由にはいくつかの説があります。備蓄したものが何らかの理由で取り出されずそのままになった、地鎮などの祭祀に伴って埋められたなどです。いずれにしても、大量の埋納銭はこの地域が政治経済的に大きな位置を占めていたことを思わせます。中野地域の室町時代の歴史には不明なことが多いなかで、地域にとって貴重な歴史資料であるだけでなく、当時の流通や経済などを考える上でも重要なものです。(中野市ホームページから転載 2016.10.6)