みどころ

文化財

中野町製糸場水車機械略図

所有者 中野市  所在地 中野市立博物館

絵師関長年(1813~1877)が描いた絵です。
 中野町は中野騒動(明治3年(1870)12月)などで荒廃した町を復興すべく、明治6年8月、官民一体となって、紡女100人取り(後に200人取り)の中野製糸場を、常楽寺(中野市松川)大門西に建設しました。器械製糸場としては長野県下で諏訪深山田製糸場(諏訪市)、上高井雁田製糸場(小布施町)についで三番目のものになります。しかしその規模は当時県下第一位で、富岡(群馬県、300釜)にははるかに及ばないにしても、二本松(福島県)と並ぶ、日本三大器械製糸場の1つに数えられたといいます。
 作者の関長年は、松川村(中野市松川)の生まれで、20歳の時江戸へ出て、細かい描写に優れた絵師である大西椿年の内弟子になりました。長年は、幕末の動乱期に中野に戻り、後進の指導にあたりました。
 この「信濃国高井郡中野町製糸場水車器械略図」(明治6年作)は長年の代表作といわれています。絵の遠景には箱山・我帰山、前景には見事な松と広場が描かれています。中心はなんといっても二棟の広い製糸場と人々の姿です。紡女達は整然としかも何やら楽しげに仕事をしています。冠木門の前広場は多くの人で賑わっており、繭を大八車で運び入れる人、馬で運ぶ人、背負う人などがいます。向こう鉢巻姿で天秤棒をかつぐ人、洋服の人を乗せる人力車夫、高島田を結い、話しながらゆったりと歩く女性もいます。
 こうしてこの絵は、視覚を通して明治初年の製糸業、人々の服装などを頭の中に刻みこんでくれます。この絵は、中野絵画史のなかの代表作であり、また中野の歴史を示す貴重な資料にもなっています。(中野市ホームページから転載 2016.10.6)

基本情報

お問い合わせ
中野市生涯学習課 文化財係 0269-38-3112
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