所有者 中野市 所在地 中野市一本木(一本木公園内)
この校舎の前身は、明治29年(1896)5月に中野尋常高等小学校として、現中野小学校敷地内に建設されました。その当時は、教室14・講堂体操場2棟・宿直室などで、洋風建築の立派な大建造物であり、北信地方では初めてのものでした。特に正面玄関は異色なもので、各隅の三本の洋式円柱を組合わせた柱の上の玄関二階は、ベランダ付きの明治中期の洋風校舎の代表的なものでした。ベランダの奥は応接室になっており、さらにその奥の室には大事なものが納められていました。その上の屋根の下は破風型になっていて、大きな星のマークがはめられていました。このベランダからは、中野町が見下ろされ、また延徳沖を一望のもとに収められ、遠く日本アルプスも視界に入る威風堂々たるものでした。
その他、建築の特色としては、引き違い窓が用いられ、片廊下形式や、外壁の下見板が見られました。また講堂には天井に大きな洋灯が下がり、窓は上下に動くハイカラなものでした。木部仕上げにペンキを塗ったものも、当時の校舎建築の先端を行くもので、県下でも現存するものはあまりありません。
その後、中野市では昭和54年(1979)7月に小学校整備計画審議会が設置されて、全市8校の全面改築が行われることになり、旧校舎はすべて取り壊されることが決定しましたが、市民は歴史的に意義の大きなこの西校舎を復元・保存することを決定し、玄関を中心に両側の4教室を昭和59年(1984)に現在の一本木公園内に移転復元しました。現在この建物は、中野小学校旧西校舎・信州中野銅石版画ミュージアムとして利用されています。(中野市ホームページから転載 2016.10.6)