所要時間1時間30分
中野市東部を流れる夜間瀬川からの取水による「八ヶ郷用水」は、中野市一帯を潤し、稲作だけでなくリンゴやモモなどの季節の恵みをもたらしてくれます。16世紀頃に開削されたといわれ、「疎水百選」にも選ばれています。 ボランティアガイドが考案した八ヶ郷用水のせせらぎを聴きながら市街地を歩くコースです。 中野陣屋・県庁記念館 → 鈴泉寺 → 陣屋井戸 → 如来寺 → せせらぎの小径 → 武水穂神社
江戸時代に「中野陣屋」、明治時代に「中野県庁」が置かれた中野市の貴重な史跡
天領中野陣屋は、享保7年までに高井群の幕府領陣屋を統合し、五万石余りの天領を支配する信州随一の陣屋となりました。
明治元年8月中野陣屋が廃止され、建物を使用して伊那県中野分局が置かれました。同3年9月、中野県の成立によって分局は県庁に昇格しました。
明治初年の地方行政を知る上で、中野県庁は貴重な史跡として昭和39年県の史跡に指定されました。
現在ここには陣屋時代からの石垣、井戸、稲荷社跡があり、当時の名残をとどめています。玄関前には「旧中野県庁跡」の標示塔がたっています。
現在は、中野市の歴史にまつわる様々な資料の展示に加えて、市民の皆様のイベント、展示等にご利用いただいています。
館内には落ち着いた雰囲気でのんびり過ごせるカフェスペースも併設されています。
高梨家が開基した寺
鈴泉寺は、明治時代には現在の中野小学校の基となる研智学校に使用されていました。
堅牢な山門はかつて飯山城の門に使われていました。
参道の入り口にある石碑に刻まれた「南無妙法蓮華経」の文字から伸びている線は「ヒゲ題目」と呼ばれ、人々に救いの手を差し伸べていることを示しています。
現在も湧き水を湛えている
中野陣屋があった当時をしのばせる貴重な遺構。
井戸枠には「不亡井(忘れずの井戸)」の文字が刻まれている。
法隆寺から御分尊された聖徳太子殿がある
如来寺の歴史は、明治3年に起きた「中野騒動」によって伽藍が消失し、古文書も失われたため詳細は明らかではありませんが、慶安4年(1651)に開基されたといわれています。
境内の西側にある聖徳太子殿は、昭和初期、経済不況に苦しんでいた町の職人達の発願で建立されました。
高梨氏が水除けの神として祀った
武水穂神社は、もとは山ノ内町との境界近くにあった神社でしたが、洪水で流され現在の場所に移りました。
16世紀末期に社殿が再建され、明治3年に武水穂神社社と改称されました。