所要時間約1~2時間(※施設見学時間は除く)
【スタート】中野陣屋前広場→<鈴泉寺>→<高梨館跡公園>→<泰清寺>→<霊閑寺>→<日本土人形資料館>→<中山晋平記念館>→<陣屋稲荷大明神>→<陣屋井戸>→中野陣屋・県庁記念館【ゴール】
高梨家が開基した寺
鈴泉寺は、明治時代には現在の中野小学校の基となる研智学校に使用されていました。
堅牢な山門はかつて飯山城の門に使われていました。
参道の入り口にある石碑に刻まれた「南無妙法蓮華経」の文字から伸びている線は「ヒゲ題目」と呼ばれ、人々に救いの手を差し伸べていることを示しています。
鎌倉時代から戦国時代にかけて活躍した高梨氏の居館跡
小館の高梨城は高梨政盛の全盛時代、永正7年(1510)越後の長尾為景(謙信の父)に加担して敵将を討ちとった魚沼郡長森原で戦いで信州へ凱旋した前後に築城したと言われています。
のち高梨城は、武田信玄勢の侵攻によって落城し、高梨氏(政頼の代)は越後上杉氏を頼りました。武田氏が天正10年(1582)滅亡してのち高梨氏(頼親の代)は、故郷へ帰還することができましたが、慶長3年(1598)上杉景勝に従って会津へ去りました。以来、堀の内は、ゆかりの人達によって遺跡として護られてきました。
周囲には空濠・土塁が残り、庭内に稲荷社・井戸跡・庭石なども残っています。
市が進めてきた高梨館跡公園の整備が終わり、平成13年11月2日、開園およびしゅん工式を同公園で実施しました。
中部地方の武士団の文化的レベルや方形館の発展過程を示すものとして高く評価され、平成19年2月には国指定史跡となりました。
毎年4月上旬になると、タカトウコヒガンザクラが見ごろを迎える、市内でもっとも早いお花見スポットとして親しまれています。
戦国時代に北信一帯を治めた高梨一族の菩提寺
泰清寺は高梨家8代目当主 高梨高家が正和元年(1312)建立した高梨一族の菩提寺です。
参道の正面からは唐様の造りが珍しい山門が目に留まります。
日本三大霊地のひとつ霊閑寺と無相大師祖堂
霊閑寺は、高梨家に生まれ、後に臨済宗妙心寺派の開祖となった無相大師が父の菩提を弔うために創建しました。現在は、京都妙心寺・岐阜県正眼寺とともに妙心寺派の三大霊地のひとつに数えられています。
参道の正面に見える無相大師祖堂は、無相大師六百年忌を記念して昭和34年に建立されました。
5月には赤や白のつつじの花が咲き誇り、華やかな風情を楽しめます。
愛らしさ溢れる郷土玩具・土人形の世界
東山公園にある校倉つくりを模して建てられた日本土人形資料館では、中野土人形をはじめ全国の土人形約2,000点余を収蔵・展示しています。
土人形絵付け体験も随時できますのでお気軽にどうぞ !
3000曲ものメロディを生んだ作曲家
「シャボン玉」「カチューシャの唄」「東京音頭」など、幅広いジャンルで多数の名曲を生んだ作曲家中山晋平の生誕100年を記念して建てられた記念館です。
館内には、晋平の偉業を伝える資料や竹久夢二の装画による作品集などが展示され、リスニングコーナーでは晋平メロディの世界に浸ることができます。また、第一展示室では晋平の生涯のビデオを鑑賞でき、晋平が愛用したオルガンの伴奏で歌うこともできます。
天領中野陣屋の鎮守として祀られた
並んだ鳥居の先には「市神(いちがみ)」祀られています。
中野ではかつて、1・4・7の付く日に開催する九斎市が行われていました。
現在も湧き水を湛えている
中野陣屋があった当時をしのばせる貴重な遺構。
井戸枠には「不亡井(忘れずの井戸)」の文字が刻まれている。
江戸時代に「中野陣屋」、明治時代に「中野県庁」が置かれた中野市の貴重な史跡
天領中野陣屋は、享保7年までに高井群の幕府領陣屋を統合し、五万石余りの天領を支配する信州随一の陣屋となりました。
明治元年8月中野陣屋が廃止され、建物を使用して伊那県中野分局が置かれました。同3年9月、中野県の成立によって分局は県庁に昇格しました。
明治初年の地方行政を知る上で、中野県庁は貴重な史跡として昭和39年県の史跡に指定されました。
現在ここには陣屋時代からの石垣、井戸、稲荷社跡があり、当時の名残をとどめています。玄関前には「旧中野県庁跡」の標示塔がたっています。
現在は、中野市の歴史にまつわる様々な資料の展示に加えて、市民の皆様のイベント、展示等にご利用いただいています。
館内には落ち着いた雰囲気でのんびり過ごせるカフェスペースも併設されています。